或る知人が、日記で嘆いてゐた。
「日記には、ホントの気持ちが書けない」
日記って、そもそもはすごくprivateなモノで、
本来的には人の目に触れないからこそ“日記”だったはず。
ところがネットの場合は事情が違ってゐて。
ネットで日記を書くということは、
日記をまさしく「公開」することなんよね。
privateであるはずのモノを、publicに存在させようとしてる。
そこに、或る種の矛盾というか、“ねじれ”があるわけで。
「公開」を予定されたモノとして日記を綴るからには、
とうぜん「読者」の目を意識せざるをえないわけで。
何なんやろ。これはいったい。
何のために日記なんか書いて、公開してるんだろう。
そんな感じがしないこともなかったり。するような。
読者の目を意識するがゆゑに、
ホントの気持ちを書けなくなってしまうのなら、
ネット日記なんて書く意味あるのかな。
そもそも日本には、“私小説”という世界があった。
私生活を自ら暴露して披露する世界。赤裸を是とする文学。
ネット日記が日本で流布してゐるのは、
そうゆう伝統が“私小説”文化としてもともと存在していたことが
基盤となってゐるのかもしれない。
と思った。
(2001-08-09)