いろんな日記を拝見したり、あるいは三流スポーツ紙etcを見たりしても、
「今アメリカでは人がいっぱい死んでる。可哀想だね…」ってのが
世間一般の考えみたいですね。
こういうことを言うと、すごく俺がヒネクレてると
ご叱咤を受けるかもしれないんやけど、
こうゆうのってある種の偽善だと、俺は思う。
人が死んでるのは、なにもNYやペンタゴンだけじゃないんです。
今こうして俺が言葉を綴っている、たった今この瞬間も、
世界のどっかじゃ、内戦に巻き込まれたり、飢えたり、会社をクビになったり、
いろんな理由でたくさんの人が死んでる。大人も。子どもも。
そういう、目の前の“見えない”現実から目をそらして、
マスメディアが必要以上に“宣伝”してる“悲劇”にだけ目を向けて、
「アメリカ可哀想、イスラム憎し」と短絡するのは、
あまりに稚拙というか、偽善というか。
そう思うんですよね。なんか。
たしかに今回のテロの犠牲者は可哀想だけど、
それと同じくらい「可哀想な」犠牲者――内戦や飢餓や不景気に対する――が
世界の各地では毎日、無言で亡くなっていってるんだよ。
そのことに思いを至らせることはなく、
ただニュースの映像を見て「可哀想」と感じて、
でもしばらくしたらケロッと忘れて日常生活に戻ってて…
それって、偽善じゃない?
(2001-09-15)