俺は、人の日記(に類するもの)を読むのが好きです。
ウェブ上のいわゆる“日記”って、不思議なモノで
くだらん日記はとことんツマランけど
おもろい日記は果てしなくオモロイ。
その幅の広さというか、玉石混交ぶりが
この「日記」ジャンルの魅力(の一つ)だと思う。
一つ、言及しておきたいのは、僕は別に
ツマラン日記が意味ねえって言ってるんじゃないの。
くだらんモノには“くだらんモノである”という価値がある(なんだそれ)
文章を読むということの価値が、
何らかの知的刺激を受けるということにあるとするなら、
その刺激物はなにも高尚なモノである必要はないと思うのね。
つまり、
日常を記しただけの、極めてドーデモイイ内容(他人からすれば)の日記。
そういう日記って、よくありがちで、
そしてそういう日記に冷ややかな(批判的な)人もよく見かけるんやけど、
俺は、そういう“くだらん”日記にも存在価値があると思うの。
この前、或る人に「人の日記なんか読んで楽しい?」って訊かれたけど、
俺は楽しい。なぜなら、そこに「刺激」があるから。
刺激ってのは要するに他者(異物)との接触なわけで、
日記を読むことの意味は、たとえそれが一方的であるにせよ
他者の世界へ介在することができる点にあるのだと思う。
だから、僕は人の日記が楽しい。
その“日記”が、示唆に富むものであることとか、
含蓄あふれる文章であることとかは、期待してないのね。そもそも。
もちろん、そーゆーのが有るに越したことはないのだけど、
(そうゆう“示唆や含蓄が有る日記”が「おもろい日記」なんだとは思うけど)
そんなものは別に、新書でも単行本でも雑誌でも
図書館や本屋に行けば腐るほど転がってる。
俺が「日記」に求めるのは、そーゆーモノじゃないの。
俺は、人の行動を知りたい。気持ちを知りたい。
“人”そのものを知りたい。
つまり、読んで楽しい日記ってのは、
知性や知識に溢れる日記と同義じゃないってこと。
筆者の“在り方”を感じることができる日記。
それが“読み甲斐のある”日記だと、俺は思う。
どんなにためになる(=instructiveな)日記であっても、
書き手がどんなヤツかサッパリ分からんよーな日記は読みたくない。
そんなのは教科書や新書で十分。
そう思いませんか?
(2001-10-26)