音的には、ほぼAメロのみの繰り返しといういたってシンプルな構成。
情景描写を誘う、叙情的な歌詞が印象的。イントロだけを聴くと呑気なラブソングかと思ってしまいそうですが、後半にドラマチックな展開が待つ曲です。
歌詞は、女性形一人称が回想する形で始まります。
「あなたは昔言いました」昔ってどれくらい昔だろうな。そんなことを思わせつつ、回想は続きます。
「だけど楽しい話なら笑い合えていた」逆に解釈すると、楽しい話でしか笑い合えなかったということ。
曲の展開を暗示する、意味深なフレーズです。
「それなのに人はどうして彼女は「あなた」とのことを「過ち」と考え、「葬った」と言う。
同じような過ち
あと何度繰り返したら
後悔できるの
思い出している
葬ったハズの
いつかの夜」
いったいどうしたというのでしょう。二人の間になにがあったのか。
答えは、続く歌詞に用意されています。どんでん返しの答えが。
「目覚めた私の枕元 大きなクマのぬいぐるみいましたどういうことでしょうか。ここは、2通りに解釈ができると思います。
隣にいるはずのあなたの姿と引き換えに」
- 「彼」は、クマのぬいぐるみを置き土産に、彼女のもとを去っていった。
- この朝はただ単にたまたま先に出かけただけで、「彼」は依然「わたし」を愛している。
彼女が期待に胸を弾ませて待ったプレゼントは、teddy bearに象徴された“彼との別れ”――独りになること――でした。「やがて訪れる」夜明けが孤独の朝だと知ったとき、彼女はいったいどれほどショックだったことでしょう。想像にかたくありません。
別れにもいろいろな形があります。“黙って去る”という形は、一見、相手を傷つけずに去るようで優しそうに見えますが、その実、相手に理由も何も語らずにただ消えてしまうという意味では、とても残酷な別れ方だと言えます。言葉にすることすらせずに去る。残された者には、“急に突き落とされた”ような孤独と、行き場のない悲しみが、ただあるのみ。胸にのしかかる“昨日と今日のギャップ”。それはまさしく、“茫然自失”。
そんな情景を浮かべずにはいられない、悲しい追憶の曲です。
(2000-11-04)
この曲をめぐっては、浜崎あゆみ自身の経験(両親の離婚・孤独な少女時代)を歌ったものだという解釈が有力です。この曲が収録されているアルバム『Duty』が“人間”をテーマにしている(らしい)ことからも、説得力のある説だと思います。すなわち、「彼」とは彼女のもとから去って行った父親(あるいは“両親”そのもの)ということでしょうか。