俺の場合、誰かを好きになるのには2パターンある気がする。
1つは、一目惚れというワケでもないが、まぁ見た目で惚れてしまうパターン。俺はけっこうメンクイというか、美形に弱いので、カッコイイ人とかカワイイ人を見ると、けっこう簡単にハマってしまうのである。
2つ目は、内面から好きになってしまうパターン。最初のうちはそんなつもりなくてふつうの友だち感覚だったのに、ある日気がついてみたら「あれ、俺あの人のこと好きなんちゃう...?」という感じで、いつの間にか好きになってるパターンである。
かつての俺は前者が多かったのだが、中学、高校...と進むにつれて後者が多くなってきた。なぜだろう。まぁ、精神的に大人になったということかもしれない。人はやっぱりその内面を見てみなければ判断できない気がする。俺は無意識のうちに、そのことに気づいてきたのかもしれない。
臨床的に見ても(恋愛にも理論と臨床の区別が存在するのかどうかは、議論のありそうなところであるが。)後者の場合のほうが長続きする――少なくとも俺の場合は。なんと言うか、後者の場合のほうが、相手を“深く”好きになっているからだと思う。相手の内面に惚れるということは、ある意味、相手の内面を共有したい、受け入れたいと願うことである。喜びも悲しみもすべて、理解し共感したいと思うことである。そんなことを思える相手はなかなかいるものではない。が、いったん見つかれば逆に、その人のことを忘れるのは至難のわざとなる。それだけ“深く”相手にハマりこんでしまうからである。
話がやや逸れたので元に戻そう。内面から好きになった場合(すなわち2つ目のパターンで好きになった場合)、改めて相手の顔を思い浮かべてみると、けっして“美形”ではないのがふつうである。まぁもともと“友だち”感覚だった相手なのだから当然の話でもあるが。しかし、美形でないからといって相手を好きでなくなるかといえば、そんなことは決してないのである。これは、最初に挙げた1つ目のパターンと合わせて考えると矛盾していると思われるかもしれない。だが、当の本人である俺自身にすれば、これは別段問題あることではない。と言うのも、後者のパターンで「俺はこの人が好きだ」と気づいたその瞬間から、俺の目にはその人の顔が“美形”に見えてしまっているからである。
我が人生の格言。「恋は盲目」
(2000-04-25)