私の家族、とくに母親について、思うところを書きたいと思う。
最初にハッキリと言わせてもらうと、私の母は浪費者である。浪費癖がある。カネの管理というものが、驚くほどずぼらで、疎い。彼女を見ていると、改正前の民法なら準禁治産宣告を受けていてもおかしくない人だなあと、私は本気で思う。泉ピン子並みの、金銭感覚の欠落ぶりなのである。
彼女の希望的意思もあって、私の家の家計は、彼女が管理してきた。おかげで、私の家はこれまで、破産寸前の綱渡りを何度も繰り返してきた。何度も、何度も。危機が発覚するたびに、父は母に激怒し、叱咤し、そして母は泣いた。そのたびに父は金策に走り回り、母はただ無言で、反省らしきそぶりを示してきた。
先ごろ、また危機が発覚した。今月中に返さねばならない額が3桁だという。茫然自失という言葉を、私は実演した。いったい何がどう転んだら、そんなに借金を重ねられるのだろうか。これまで何度も泣いて、家族に叱られて、それでもなお愚行を繰り返す彼女には、学習という能力がないのだろうか。私は、谷底に突き落とされたような、どうしようもない途方感で、ただただ声が出なかった。情けなかった。
私は、食費や交通費などの自分の雑費に加えて、大学の学費も自分で賄っている。つもりだった。しかし現実は、彼女は私が渡した学費を流用し、私の学費は滞納されていた。裏切られたと、これほど激しく思ったことはなかった。彼女はどこまで愚者なのだろうか。私には分からない。彼女の存在が、在り方が、理解できない。
昨日、父と話をした。私はふだん、父と話をしたりはあまりしないのだが、久しぶりに向き合った父は、ひどく落ち込んでいるようだった。俺の人生はあいつのための借金返済の繰り返しだと、父はこぼした。おまえは俺の人生を棒に振ったんだぞと、父は母をなじった。ふだんは気丈な面しか見せない父が、途方にくれていた。私は、ただ父と共に途方にくれることしかできなかった。自分たちの無力さが嘆かわしいのとともに、母の愚かさが、ただただ憎く思えた。
私はもう、彼女を信頼できない。ある意味、嫌悪している。親だから、家族だから、無条件に愛せよ、などというのは偽善だ。社会人として確立できていない人格を、親だからといって、ただそれだけで、親愛できるわけがないではないか。家族というのは、誰にとっても、この世でもっとも卑近な存在である。卑近がゆえに、良所も短所も筒抜けに露見する。卑近な存在を直視することは、人間の醜さを直視することにつながるのだ。一度その醜さを知ってしまった相手を、どうやったら愛せるのだろうか。赦す。許容する。言うは易く、行うは難し。私はそんな聖人ではない。
彼女に振り回されっぱなしの父も哀れだが、そうやって振り回さざるをえないでいる彼女もまた、愚かで哀れだと思った。私たちの前途は、暗雲である。
(2000-09-30)