僕は「がんばる」という言葉が嫌いだ。自分自身になんてもちろん使いたくないし、誰か他の人に対しても「がんばって」という言葉は使いたくない。もちろん、他の人を励ますことがイヤだというわけではなくって、そういう“励まし”の場面においても「がんばれ」という言葉は使いたくない、ということです。
なぜかって? それは、この言葉がすごく自分勝手というか、デリカシーのない言葉のような気がするから。
カウンセラーいわく「鬱病の人に対して『がんばれ』と言ってはいけない。」
阪神大震災の被災者いわく「『がんばれ』って言わないでほしい」
こういう声をよく聞く。その意味が分かりますか?
すでに過酷な状況――「がんばって」いる状況――にある人にとって、さらに「がんばれ」と言われることは、心理的負担以外の何者でもないってことなんだと思う。発言者からすれば励ましのつもりなんだろうけど、それは違う角度から見れば本人の“がんばり”を認めることができていない(見過ごしている)わけで、励ましどころか本人をさらに責める効果しかない。優しさを見せてるつもりが、実は優しさどころか単なる無責任にすぎない。
だからね、俺は「がんばる」って言葉を使いたくない。この言葉に対してアレルギーを感じる。それは、この言葉が無責任な無言の圧力に他ならないから。「がんばらなくてもいいんだよ。もうあなたは十分がんばってる」と言えること。認めてあげられること。それこそが、本当の優しさではないのかな。
「がんばらない」俺にエール。
(2001-05-09)