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(中島敦『山月記』)

選挙と棄権

 先日、或る掲示板でのやりとりをきっかけで、“棄権行為が選挙結果に及ぼす影響”について少し考察することとなった。そこでせっかくなので、今回はそれをご紹介することとしようと思う。
 以下は、いつでも休日中。の掲示板におけるapple/ユウト氏と筆者のやりとりの転載である。まずはこれをお読みいただきたい。ほぼ原文のママなので会話体な部分が目につくかもしれないが、そこはご容赦いただくこととする。
(※転載部分↓に続いて、本文が続きます。)
apple/ユウト(以下、「apple」)
小泉サン他政治家の皆さん。
アメリカの機嫌取りのために出兵して、
日本が戦争に巻き込まれる原因を作るようなことはやめてくださいね。
日本国民は、みんなこう思ってると思いますよ。
HAL(筆者。以下、「HAL」)
とりあえず、「徴兵されたくねー」って願うのなら
今のうちにきちんと、選挙権行使という形で
その意思を表しておきましょうね(法学部生的微笑)
apple
国民投票なら投票するけど、
今の方式だと候補者に入れてもころっと政党の方針で変わるからね…。
HAL
「国民投票なら〜♪」とか言ってる人が多いから
今日(こんにち)の政治があるのよ。苦笑
apple
一般の人に政治がもっとよくわかるように説明するのも政治家の義務なのに
高みから民衆はあほだって顔して苦笑している、
政治家とかは問題だと思うけどどう?
HAL
そういう“問題ある政治家”を選んでるのが私たちなのよ?
彼らは私たちの代表。
ということはつまり、私たち_こそ_に問題がある。
あぁなんて論理的な帰結でしょう(うっとり)
apple
いや、だから入れてないんだってば。
選んでないんだけど、いるの(政治家がね)。
どうしても入れたい人もいないのに誰かに入れるのはいやなのだ。
いっそのことどうしても入れたい人以外は
入れないようにすればいいのにねぇ。
あまりの投票率の低さに、
もっとわかりやすくしないとって思ってくれるかもね。
HAL
あのね、それが「代表」ってものなの。
貴女は棄権するってことを“選挙結果に責任を負わない”と
認識してはるようだけど、それは違うと思う。
棄権するってのは、いわば“消極的投票”をするってこと。
貴女が投票しなかったことで、
当選するはずのなかった人が当選できる結果になっているかもしれない。
あるいは逆に、当選するべきだった人が落選したかもしれない。
“消極的投票(つまり棄権)”をすることでも
貴女の行動は十分、選挙結果に影響を与えているの。
つまり私たちは、選挙権を有しているかぎり
選挙結果から無関係ではいられないというわけ。絶対に。
これが、法的に言うところの「代表(representative)」。
「代表に学級委員を選ぶ」なんてのとは違うのです。
伝わったかしら?
 さてさて。(思いのほか長くなってしまった…)
 選挙というのは面白いもので、それは結局は真剣な顔をした人気投票にすぎないんだと思う。だからこそ、都市部でタレント知事が誕生したりする。しかしふつうの人気投票と決定的に異なる点が一つある。それは有権者全員が強制参加させられるということだ。
 “権利”というと私たちは通常、それは“行使されなければ何も生まれない”ものだと考えがちである。しかし法的に言うところの“権利”には二つの種類がある。すなわち自由権と社会権である。前者は国家に不作為(自分に関わらないこと)を求める権利であり、身体的自由だとか表現の自由だとかで表されるものである。後者は逆に国家に対して作為(自分に何かをしてくれること)を求める権利であり、生存権がその典型である。私たちが“権利”として一般的に認識しているのは前者すなわち自由権(国家に不作為を求める権利)なのである。したがって後者すなわち社会権の場合ならば、一般的考えに反して、権利は“行使されなくても何かを(勝手に)生みだす”ことがある。「(義務)教育を受ける権利」が典型であろう。私たちは義務教育を「受けたい」と特別に嘆願せずとも、学齢期になるとともに_自動的に_義務教育を国によって用意される。(もっともこれは、保護者が負っている「義務教育を受けさせる義務」の反射によって担保されているのだが。)
 選挙(投票)権にもこれと似た構造がある、と私は思った。社会的権利(社会権)としての「選挙」というシステムは、私たちが有権者年齢に達するとともに_自動的に_用意されている。そして私たちは義務教育から逃れられない(6歳の春には公立小学校に席が自動的に用意され、15の春を迎えれば中学卒業資格が(基本的には)必ず付与される)のと同様に、「選挙」システムから無関係でいられることは不可能なのだ。たとえ投票せずとも(=棄権をしたとしても)、それは“不投票”という形でのいわば“負の投票”(あるいは“潜在的投票”)をしたことになる。つまり、選挙結果から完全に無関係であることは、選挙権を有するかぎり(=生きているかぎり)絶対的に不可能なのだ(!)。
 こうした“負の投票”をも考慮した広義での「投票率」を考えると、面白い結論が得られる。すなわち、すべての有権者は“正の投票”(通常の投票)か“負の投票”(棄権)かどちらかを必ず投じているわけだから、そうなると「投票率」は常に100%しか論理的にありえないというわけである。投票率低迷に悩む選管関係者には朗報ではなかろうか。
 ともあれ、負の投票よりも正の投票の方が国政に与えるインパクトが大きいのは、もちろん言うまでもないことである。有権者よ、投票せよ。
(2001-12-21)
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